海野敏郎先生、田中秀人先生体験談
20数年前に海野敏郎先生、田中秀人先生、が戸口著、PHP研究所版「行政書士になろう」に体験談を投稿してくれました。20年前、両先生は戸口合同事務所に在籍しておりました。
町田支部の先輩の開業当初の思いが記されております。田中先生は、そのころ町田市経営診断協会に所属し商工会議所の講演をしておりました。現在は、行政書士法人建設ブレインの代表として多くの建設会社の顧問をされています。建設業許可申請のプロ中のプロです。
海野先生は、小規模企業の顧問を受託し、開業当初は簿記2級を取れと言われ苦労したようです。現在は見事古参の専業行政書士に成りました。中小企業指導のプロ中のプロです。
参考に「行政書士になろう」に掲載されたお二人の開業まじかの体験記をPDFにとりましたのでお読みください。
(転写、転用は禁止です。)
海野敏郎先生体験記 (現町田支部)
田中秀人先生体験記 (現武鷹支部・現副会長)
行政書士が食えない時代にどうしたら海野先生や田中先生のようになれるのかを真剣に考え行動を起こして下さい。
昭和59年1月号会報の町田支部戸口勤に対するインタビュー
「行政書士とうきょう」昭和59年1月号に誌上インタビューQ&A」に戸口が掲載されました。その時の会報の記事をPDFにしました。戸口は登録して4年でした。時の町田支部長は熊沢正雄先生、副支部長が笹原正作先生でした。本部理事(建設宅建部員)は笹原先生でした。 昭和59年1月の書士会インタビュー
若かれしころのショック・・・行政書士の社会的地位?
上記のインタビューの際に、時の広報部長大久保博信先生に「行政書士の社会的地位を上げるよう頑張りたいと思います。」と申し上げましたら「行政書士の地位が上がっては困る。敷居が低いからこそ下駄履きやサンダルで相談に来てくれる。市民の身近にいる法律家が行政書士ですよ。社会的地位の高いのは弁護士だけで良いのでは。」と言われて頭をガンと殴られた思いをしました。遠い昔の思い出です。
町田支部追想30年
町田支部は創立50年を超えましたが、30周年記念祝典を笹原支部長の時代に盛大に行われました。
その時の記念誌に掲載されました「町田支部追想30年」をご覧下さい。
先輩たちの当時の活動が簡単に掲載されています。
町田支部追想30年pdf.
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